明るい鬱日記

日々の辛さを笑いに変えて、世界を救います。

胸焼けにはタバコ

夕方まで降り続いた雪は止み、つい1時間ほど前まで車が行き交っていた道路は、真っ白な絨毯が広げられているかのように積り残った雪で覆われていた。

 

事務所に遅くまで残っていた私は過去の記事や取材メモを手元に置き、いくら考えても思いつかない明日以降のネタを探し出そうと躍起になる。

だが、努力に耐性のない私はすぐに音を上げて、明日への不安が拭えないのに事務所の扉に鍵を差し込んだ。道路を見やると、市役所がバブルの頃に設置したと思われる古びた街灯が、白く変わった道路を明るく照らしている。

それを見て、私は思い立った。「あぁ、飲みに行こう」。

 

この日は昼過ぎから胸焼けが止まらなかった。

休み明けでいきなり長い記事を書かされ、デスクと呼ばれるおっさんに電話口でダメ出しを食らい続けたからだ。新型コロナウイルスが猛威を振るった2020年の春に入社した私は、申し訳程度の研修を本社で受けただけで、自分が所属する職場以外の支社や事務所に立ち入ったことはほぼない。

だから、知らない社員が多いのだ。このデスクも電話で話したことは数多くあるが、顔を見たことは一切ない。声を聞く限り、家族に見放されてハゲ散らかったおっさんなのだろう。根拠はもちろんない。私は嫌いな人間を孤独なハゲオヤジと思い込む習慣があるのだ。だから、このデスクも誰もいない食卓で冷えたコンビニ飯を涙目になりながら食っているはずなのである。

 

行きつけの飲み屋は歓楽街を少し入ったところにある。

古びた一軒家に店を構え、今にも雪で崩れてアスファルトに接地しそうな勢いだ。

だが、形容し難い温かみがそこにはあった。

だから、こうして嫌なことがあった日には必ず油がまとわりついた暖簾をくぐる。

 

ビールを一杯頼んだ。普段はこれを飲めば治るはずの胸焼けだが、いくら飲んでも毬栗が詰まった感覚が去らない。

マスターの人柄も親しみがあり、食事も近辺では右に出る店がないほど出来が良いのだが、楽しさを感じる時間を過ごしても少しも胸焼けは治らなかった。

 

これは大変だ。

 

私はその場をいそいそと離れることにした。

「ご馳走様です」。体裁を気にする私は不安が宿っていても、平然とした笑顔でこの言葉を発することができる。これも、親の教育の賜物だろう。母の日には美味しいものでも送っておこうか。

 

店を出ると、寒さが一段と厳しくなったようで、冷蔵庫に顔を突っ込んだような冷気が肌に当たった。頬が乾燥していくのを感じた。

ポケットに手を突っ込むと、先程まで吸っていたタバコの箱が指に触れた。

そうか、胸焼けの原因はこれか。

途端に気が付いた。

 

原因が分かったことで嬉しくなったので、タバコに火をつけた。

この日、23本目のタバコである。

 

ちなみに、胸焼けは治らなかった。